新人の頃は、何もわからず、先輩の背中を追いかけながら経験を積んできました。
中堅になると、後輩に頼られ、教える立場にもなりました。
指導することで、自分の技術も磨かれていく感覚があったと思います。
「経験があるから、大抵のことは対応できる」そんな自信も、確かにあったはずです。
けれど50代になってから、その経験がかえって迷いを生む瞬間が出てきました。
判断に迷うことは、決して悪いことではありません。
ただ「この選択が本当に患者さんにとって最善か」と考え始めると、すぐに答えが出せなくなることがあります。
年齢相応の判断を求められているというプレッシャーが重なり、その迷いをさらに重くしているのかもしれません。
経験を重ねれば怖いものはなくなる。
安心できるようになる。
そう思っていました。
けれど実際は、若い頃とは違う種類の不安が確かにあるのです。
ここでは、50代になってから「自信がない」と感じてしまうのはなぜなのか、その理由について考えていきます。
「知っていて当然」の立場がかえって苦しくなる
以前、循環器病棟で働いていた先輩が、「心電図ならあの先輩に聞けば分かる」と言われている姿に憧れを感じていました。
私もICUに配属された経験から、夜勤を一緒にする後輩から「今日は心強いです」と言われるようになりました。
それは光栄で、誇らしい瞬間でもありました。
その期待を裏切らないように。
後輩の自信を損なわないように。
急変時にはできるだけ声をかけ、難しい症例は自分が代わることもありました。
けれど50代になってから、その「頼られること」が少しずつ重く感じるようになったのです。
本当に、期待されているだけの判断ができているのだろうか。
よりベストな答えを出さなければ、これまで積み上げてきた信頼が崩れてしまうのではないか。
そう考える瞬間が増えていきました。
予測できてしまうからこそ怖くなる

若い頃は、指示が出れば、自分が理解している範囲で看護をしていました。
そのときは、それが最善だと信じていたのです。
けれど実際には、見えていないリスクがありました。
同じ処置でも、患者さんの年齢や基礎疾患、全身状態によって危険性は変わります。
当時の私は、そこまで想像できていませんでした。
先輩から「ここが危ないよ」と教えられ、初めて「あ、そういうことが起こるんだ」と知る。
その繰り返しが経験でした。
失敗しなかったのではなく、支えられていた。
そうして積み重ねた経験が、今の自分をつくっています。
50代になった今は、一つの処置の先に起こり得る可能性がいくつも浮かびます。
けれど、すべてを経験してきたわけではありません。
だからこそ、「本当にこの判断で大丈夫だろうか」と迷いがよぎるのです。
看護に、絶対の正解はありません。
同じ行為でも、目の前の患者さんによってリスクは変わる。
そのことを知っているからこそ、以前のように勢いだけで踏み出すことができなくなりました。
それでも不安を抱えたまま現場に立っている
50代になった今、経験も、予測も、責任も抱えながら現場に立っています。
若い頃のように勢いだけでは動けない。
その分、一つひとつの判断に時間がかかるようになりました。
「これで本当にいいだろうか」と考えながら、それでも今日も患者さんの前に立っています。
経験を積んだからこそ、不安が増える
経験を積んだのに自信がない。
50代になってから、そう感じることが増えていませんか。
「知っていて当然」と思われる立場。
予測できてしまうからこそ、怖い。
若い頃のように、勢いだけでは動けない。
でも、それは能力が落ちたからではありません。
経験を積んだからこそ、見える範囲が広がった。
だから、不安が増えたのです。
もし、あなたが今、同じように感じているならそれは当然の感覚です。
自分を責める必要はありません。

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